1907.01: |
山口県熊毛郡田布施町にて出生 |
1934.03: |
熊本医科大学(現 熊本大学医学部)卒業 |
1934.04: |
熊本医科大学放射線医学教室入局、助手に採用。 |
1937.08: |
熊本医科大学放射線医学教室退局、助手退職 |
1937.08: |
広島陸軍病院、放射線科勤務(1937.7応召−1940.11除隊) |
1940.04: |
医学博士号取得(熊本大学) |
1941.02: |
広島市嘱託医に就任 |
1942.09: |
広島市猿猴橋町で開業(1945.6応召−1945.8除隊) |
1946.03: |
旧施設の原爆被爆により、広島市愛宕町に仮設診療所開設 |
1947.07: |
現在地(広島市猿猴橋町)に移転し、「槇殿放射線科」開設、院長。(日本で単科の放射線科医院として認可された最初の施設) |
1952.11: |
放射線医学研究会「レントゲンアーベント」を設立、その機関紙「日本放射線新報」の編集に参画 |
1954.04: |
厚生省指定−広島物療専門学校を創設し校長に就任、並びに臨床医学放射線研究所開設、所長に就任。 |
1958.02: |
広島医師会に「槇殿賞」を設定 |
1958.08: |
広島市猫屋町に広島胃腸科診療所開設 |
1965.11: |
日本医師会、最高優功賞受賞 |
1967.05: |
広島市出汐町に槇殿出汐病院開設 |
その他: |
1940年より存命中、広島市嘱託医として学童集団検診(胸部X線写真による健診)に奉仕した。西日本地区初の診療X線技師養成校設立は、多くの優秀な人材を送り出し、地域医療に大いに貢献した。1947年以降診療のかたわら、研究体制を確立し、日本医学放射線学会をはじめとする多数の学会で成果を発表した(論文多数)。とくに1954年2月広島医師会初の実地開業医特別講演者として発表した「回虫の生態並びに駆除」にたいしては、広島医師会第一回学術賞が与えられた。1965年9月には、第11回国際放射線会議(於ローマ市)において招聘講演としてライフワークである“Cancer immumity of irradiated tumor-bearing individuals and its clinical applications”を発表した。(この一連の業績によって日本医師会最高優功賞を受賞した。) |
1969.12: |
脳内出血にて急逝 |
関連資料: |
後藤五郎編 日本放射線医学発展に寄与貢献せし物故者の略歴(日本医学放射線学会)、1975年2月 |